つむぐ人々 #01|安曇野放牧豚

生産者を中心に安曇野で活動をされている方へのインタビューを通して、その魅力や想いを発信する企画、「つむぐ人々」をスタートします。
記念すべき第1回は飲食店やフードイベント、安曇野ブルワリーのBREW PUBでも大人気の『安曇野放牧豚』の藤原さんにお話を伺いました。

ブルワリーでは、放牧豚さんのお肉を使わせてもらって、ピザや肉のお料理にしたり、ソーセージとして使わせていただいてるんですけど、とっても美味しいし、評判がいいんですね。
その放牧がどういういきさつで、ここで放牧という形で事業を始めたのかとか、いつから始めたのかとか。
今、豚コレラとかそういった病気もあるのでご苦労がすごく絶えないと思うんですけど、そういうことも含めて、お聞かせいただければと思います。

— 創業なんですけどいつからここの地に?

そうですね。もう創業自体はもう豚だけで35年ですね。
元々、祖父がもう若い時から総合家畜商っていう商売をやっていて、そこから牛とか羊だったり色々扱ってたんですが、そこから豚に切り替えて、それで35年経ちます。
昔、狂牛病っていう病気が出るタイミングとほぼほぼ同時期にうちの祖父がこれはもうやっていけないから、豚にしようっていう形で切り替えたらしいですね。

— この事業は養豚にしたわけですけど、それを放牧にした理由は?

一番最初の理由はですね。
うちの祖父が草を刈るのがめんどくさくて(笑)で、最初は羊とかヤギを飼って食べさせればいいって話だったんですが、草の頭しか食べないんですよね。
で、それだとまた草が生えてきちゃうから「ちょっと豚でも放してみるか」から始まったんですよ。
それからたまたまその豚を食べてみたら美味しかったっていう話になって、じゃあこの豚自体を商品化しようっていうことから始まったんですよね。
それで自分が孫になるんですけど、孫とかにはやっぱ安全でおいしいものを提供したいっていうのが祖父は昔からあるので、薬剤は一切与えずに豚を放牧するっていう方法を始めたんです。
保健所とかいろんな方から120%放牧には向かないからやめろって言われていたのを覆したのが祖父なんです。
でもその前にはやっぱすごい苦労はあったらしいですけどね。
もう寒さや暑さに弱いっていうことがもう全然わからない動物だったので、祖父も扱ったことない動物だったので。
それを試行錯誤してその土地に合う豚を探して35年ですね。
今回この豚コレラという豚熱の病気が始まって、自分が3代目になってからそれが始まったんですけど、32年ぐ前からこれまで新潟市の方から豚を導入させていただいてたんですよね。
で、その豚コレラでもうその取引先との契約がなくなっちゃったんです。
長野県に豚コレラが出ていたので、要は新潟市に入らないでくれっていうことで、それでは1本であの切られてしまって、さあ、どうするって話になって、で今、佐久市の蓼科に豚を飼育しているところがあるんですけど、 そこから今導入させていただいてます。
その場所にやっぱ会う豚を探すというよりは、もうその豚しかいなかったので、この県内っていうことに関しては、で、食べてみたら美味しかったのでこの豚を自分の商品にしたいなっていうのも、やっぱありました。
その間もう280頭ぐらい死んじゃったんですよ、原因がわからなくて、その中でも色々保健所さんとか色々入っていただいて。
で、状態とその豚が亡くなる理由とか、まあ菌の問題があるんですけど、それが色々分かったので、なんとか改善していきましょう。っていう形になって、やっと今自分が代表になってから3年目ですかね。なんとか自分の商品って形になって、今のお客さんに今提供しているっていう形です。

— ここに来るまでの苦労も、すごく今お話しされましたけど、ここから先も配慮とかいう意味でも苦労されてることってありますか。

そうですね、苦労…自分より豚の方が苦労じゃないですかね。
人間の方はそこまで。やっぱ放牧なので、手を加えることは自分はあまりしないんです。
豚自体の本来の免疫力で育ってもらいたいので、病気が出てるっていうのは、放牧自体を今ややめさせていただいてるんですけど、ウチはストレスフリーで、大体1舎50メートルぐらいあるとこで、走ったりしてるので。
でもそうですね、やっぱ死んじゃうか…なんで死んじゃうんだろうっていうとこで、わからないとことを考えながらやって飼育した時が1番苦労ですかね、これからもその苦労を味わえって言われたら多分できないので。
祖父ですら、この豚コレラっていうのを経験したことないんですよね。
それを経験してなかったところを自分が経験してるので相談もできないし、だからもう色々と保健所と解決しながらっていうとこで、ここ3年で1番苦労したのはそこですかね。

— SNSでよく放牧豚さんってこういう形で飼育してるっていうのあったんですけど、知らない方に特徴を味も含めて、普通の養豚場とは全く違う飼育の仕方をされている安曇野放牧豚の特徴を教えてください。

今放牧ができない状況なので、本来だったら放牧してます。
山にちゃんと柵はあるんですけど、その中で24時間出たり入ったり、自由に放牧してるっていうのがうちの特徴で、今は50メートルぐらいの豚舎の中で走り回ってます。
日光は常に入るようにしていて、免疫力をあげるっていうのはどうしても日光の力がどうしても大事なんですね。
で、豚舎はいつでも入るような形にしています。
そこらへんは当社としての作りとかが、他のとことは違うでしょうね。
大体皆さん結構大きいとこでだどうだろう、2mか中3mぐらいまでですかね、そこに大体6頭から8頭ぐらいぎゅうぎゅうにはならないぐらいで飼っているので、それと比べたらうちは大体1舎入に40頭ずつ入っても走り回れるぐらいの広さがあるので、そこら辺は他のところだとちょっと違うでしょう。

— そうですよね、普通豚が走り回ってるっていう印象がないので

普通の人は多分、豚は足が遅いと思ってますけど、人より早いです。
アスリートよりは遅いですけど、普通に早いです。力もありますし。
免疫力は本当に普通の豚に比べて全然高いですね。

味は、色々飼ってる方たちの豚肉って皆さん力入れてるんで、どこも美味しいんですよ。
それはやっぱそこで、うちの特徴っていうのは、みんな結構同じこと言うんですけど身がシャキシャキしてて甘いですし、赤身が結構パンチがあるんですよね。
結構シャキッとして柔らかいので、あるシェフには「おしとやかなお肉」って言われました。
昔は力強い要は男みたいな力強いお肉だったんだけど、今は品種が変わってからすごいおしとやかな。
何にでも染まるようなお肉って言われましたね。
すごいしっとりしてる、保湿量がすごい高い豚になっているので。

— 最後に畜産とか、農業もそうなんですけど、後を継ぐ人って今すごく少ない、その中で後を継ぐっていうのはどのあたりで決めたんですか。

最初のきっかけは祖父が体を悪くしたので、もう年齢で言うと24の時ですね。
うちに入ろうかなと思ってはいて、建設建築の方で自分は仕事をしていて、その時で入ろうと思って入ったんですが、じいちゃんにまた出されて。
お前に払う金なんかねえぞって言われて結構厳しかった。
それでまあ1回出たんですけど、それからどうだろう28くらいの時かな、ちょうど10年、11年目に、うちのお袋と色々話して、ちょっと入ってくんないって話になって。
力仕事ですし、じゃあタイミングもいいし、入ろうかなと思って、それで、元々継ぐつもりなかったんですけど、ここまで販路広がってるし、うちのお肉美味しいって言ってくれてるお客さんや自分のこと結構知ってくれてる人がいるので、いや、ここでやめるのは簡単だけど続けてみようかなと、ほんと軽い気持ちで最初は始めたような。
ほんとにただ祖父とうちの母が引いてくれたこのレールの上をただ歩いてるような形だったんですけど、豚コレラのことがあってからどうしてもどこかで、祖父を超えたいのがあったんですよね。
だけど、祖父が豚としての完成をも作っちゃっていたので、どうやって超えたらいいか全くわからなかったんですよ。どうやって味を変えればいいか。
結局、自分たちで豚を1から作ってるわけじゃないので、だから導入先に頼んでもそんな簡単なことじゃではないので、うちだけ専用で作ってくれるっていうところじゃないので。
だから、そういう所もどういう風にしていこうかって考えて、ある程度の時期までなあなあでやってたところがあったんです。
だけど豚コレラとかそういうのが、人間なんでもそうだと思うんですけど、自分がそのきっかけで苦労して自分の物にしないと、自分自身結構納得がいかないんです。
それで勝負をかけて結果を出したい人間なので、それがそういう形になったんですよね。
そうしたら、お客さんが前の豚も美味しかったけど、今の豚はもう前の豚より2倍も3倍も欲しいです。って言ってくれた時に「よしっ!」て思ったんですよ。
それでまた力が入りましたね。

だからやってよかったな、てのもありますし、これから生産者とか農家さんもそうですけど、跡取りの問題って結構あるんですよね。
だけど、結構今アイターンとかそういうところで若い子たちが今農業をやってる子たち結構増えてきているんで、そういう子たちに何を見せたらいいのかっていうのも結構色々。
色んな人とお話する機会がたまたまあったんですけど、いい車を乗ったりとか、いいとこに行って、ご飯食べたりとか、いい服を着たりっていうのは結構あのステータスであって、やっぱそういうの見ると、あ、こういう商売があれば、こういう風になれるんだっていうやっぱ希望ですよね。持たせた方がシンプルに1番わかりやすいし良いのかなっていうのはあるんですよね。
まあ、自分はそこまではあんまりいいような車とかっていうのは乗らないので、ハイエースが1番好きなんで。
でも、だから生活面とかそこまで来るのやっぱ難しいですけど、 当たった時はでかいですよ。
何の職業でもそうですけど、見返りとかも変な話必要ですし、これからやっていく中では農業とか畜産っていうのは、汚い仕事だし、休みもないしっていうのが、皆さんやらない理由だと思うんですよ。
でも、やってるとそこまで気にしないですよ。
もう正直今休みだと自分逆に不安ですもん(笑)
まあ結構自分が体崩れた時とか、まだうちうちのおふくろが元気なんでちょっと餌やってくれるとかいいんですけど、 大丈夫かなあ、そこ大丈夫かなっていうのが不安要素ではあるんですけど、ただ子供がいたりとかすると、遊園地に連れていけないとかそういうのはあるんですけど、なんとでもなるかな。
やり方は色々ある、なんとでもなるかなっていうのは、今はあるんですけど、これからやっていく人たちはなんだろうな、なんでもそうですけど、腹決めちゃえば大したことないです。

— その点を若い人たちがこういった仕事とか、農業も含めてたくさん含めてこう着手できるようまた道を開いて

そうですね。
色々周り見ると、自分たちの世代になってきているので、この世代で何ができるかっていうのは、SNSの時代なので色々広げていきたいなっていうのもあります。これからね。
自分のわかる範囲であれば今の若い子たちにも色々アドバイス的なものとか色々できるでしょうし。今の若い子たち頭いいもんね。
なので、あとは頭が良くても行動に移せるかどうかなので、考える頭があるんだったら行動して。
自分はもう絶対そうじゃないと結果出ないそうですね。
いつまで考えてないで、何のために考えてるの?ていうことなので。
行動してダメなら早めに手を打つとか色々方法あるんですけど、みんなと色々やっていきたいですね。
今、日本も変わるべき時に来ていると思うので、 今がタイミングなのかなと思うんですけどね。
色々やっていくことに関しても、輸入ばかりじゃなくて。
日本っていう良い土壌があるので、日本だからこうやっていいものができるので、あと、そこに対してなんですよね。
輸入にこだわらなくても、日本産っていうのがやっぱ強いっていうのはあるんですけど。
だから、そこらへんはうまく個人でも、国でも、県や市でもバックアップしてくれれば、1番いいのかな、とはすごいリアルに思います。
まだこれから死ぬまで色々な方と出会って勉強なので。
色々引っ張っていければ いいかなとは。そういう志があると同じような人たちが集まってくるし、わかんない人も道があると、あ、こうやってやればいいのかっていうきっかけ作りになるし。

— そういう今こそ本当に地産地消だとかっていうところを声に出し、私たちも私なんかもこのお店やWebを通じてそういう所まで発信できるお店であればなと思っているので、今回こういう企画になりました。

いいと思います。
自分たちも消費者がいないと、広まらないですからね。

— 今後ともよろしくお願いします!

いえ、こちらこそよろしくお願いします!